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外からの地域貢献と、内からの地域貢献

  • 若宮 武さん|ゲストハウス若葉屋
  • 2017.03.03
  • 香川県高松市

「セネガルにいるとき、地元でゲストハウスをしようという考えに至ったんです」

「え、なぜ」と思った。そのふり幅の大きさに驚く。アフリカ・セネガルの地で青年海外協力隊として活動していた若宮武さんは、帰国後に高松市でゲストハウス「若葉屋」を開業した。セネガルでの国際協力と、地元でのゲストハウスと、話を聞くまでふたつがどう結びつくのか見当がつかなかった。しかし、一見関係のない両者の接点は、セネガルの人々が見せる情景、生業が“自然と”地域貢献につながる情景にあった。

若宮さんは、例えば両親が海外赴任を繰り返すような、特別海外との関わりが多い家庭に育ったわけではない。高松生まれ高松育ちの普通の少年だった。最初に海外に関心を持ったのは中学生のとき。英語の先生が国際文通をする生徒を募集していたのに手を挙げ、ガーナ・ブルガリア・ウクライナの生徒たちと文通を始めた。語学の醍醐味である「通じることの楽しさ」を体感できたという。高校生になっても、国際協力団体でボランティア活動を行う等、海外への関心は持続し、卒業後は国際開発について学べる大阪の大学に進学した。大学在学時に、初めて海外へのひとり旅に出る。行き先はガーナ。「いきなり!」と聞いて驚いたが、ガーナに行ったのには理由があった。中学時代の文通相手に会いに行ったのだ。その後、ブルガリアとウクライナにも足を運び、当時の文通相手とは全員顔を合わせることができた。また、高校時代から関わっている国際協力団体のカンボジアでの支援事業や、モンゴルでの現地NGOによる生態保護や伝統文化継承等の事業の視察にも足を運んだ。

これらの活動に刺激を受けた若宮さんは、就職においても、やはり国際開発の仕事を志望し、特に発展途上国の開発支援のコンサルティングを行う企業に関心を持った。しかし、この分野の企業は「社会人としての実務経験+発展途上国での実務経験」を就職の条件として課しているところが多かった。「なぜ他の企業への就職が必要なのか」と腑に落ちなかったが、ある開発コンサル企業が行うセミナーに参加して気づく。海外での経験も積み、そこそこ勉強もしてきたつもりだったが、大学生と社会人との間には知識量はもちろん仕事を進める上でのスキル等々にまだまだ雲泥の差があった。

「社会人には勝てない。先生から『学生はお金を払って勉強するが、社会人はお金をもらって勉強できる』との言葉ももらい、四の五の言わず就職しようと思った」

大学卒業後は、機械工具商社に就職し、3年半勤めた。開発コンサル企業の就業条件のひとつである社会人経験を手にし、もうひとつの条件である発展途上国での実務経験を手に入れるため、青年海外協力隊として活動することを決める。開発コンサル企業への就職を見越し、日本にも海外にも英語を話せる人材は非常に多いと考え、フランス語を武器にしようとフランス語圏に狙いを定める。結果、アフリカのセネガルに赴任することとなった。ここセネガルでの経験が、若宮さんの人生の大きな転機となる。国際開発のプロを志す身から、地元のゲストハウスのオーナーという、外野から見ると180度の転換に思える進路に舵を切る、ひとつのパラダイムシフトがセネガルで起こった。

 

(青年海外協力隊の活動中、現地での食事=セネガル)

(青年海外協力隊の活動中、現地での食事=セネガル)

 

セネガルに赴任してみると、先進各国政府や国際機関が巨額の開発費を投じて道路や地域に必要な施設を大規模に整備していた。ここで、若宮さんはふたつのことを感じる。ひとつめは、開発支援のために現地で働く日本人(開発ワーカー)は、「家族との距離が遠い」ということだった。

「開発ワーカーは、旦那が単身で発展途上国に赴任し、家族と顔を合わすのが年1~2回ということも珍しくない。また、妻子を伴って赴任しても、治安や衛生面での心配も尽きない。安心で良好な家族生活を送ることは、容易ではないと感じた。一方でセネガルの村人たちを見ていると、生活の場と仕事の場がとても近く、親が子どものことを本当によく知っている。学校の先生や同級生も全員知っているし、日本人の親よりも遥かに子どものこと、子どものいる環境について深く知っている。『これはとても豊かなことなのでは』とセネガルの村人たちと日本の開発ワーカーの両者を見ていて感じた」

ふたつめは、大規模な開発だけではない、現地の人たちの手仕事による小さな開発の重要性だ。

「政府系の事業では、確かに大規模な開発を通じて街の状況が大きく改善されるが、例えば大きい幹線道路が通った後に個別の家に細い道をつくったり、給水塔が整備された後に個別の家に水道管を通したり、そうした細かいことを手がけているのは、実は現地の普通のおじさんたちだった。本当に必要だと思ったことには、現地の人たちでお金も労力もしっかり出し合って自分たちの手でやる。大規模な開発だけでなく、そこに住む人々の手作業で地域の状況が改善されていく姿を目の当たりにした。また、現地の人たちの生業そのものが、農家でも、獣医でも、自然と地域貢献につながっている」

もちろん、現地の人たちだけでは難しい大規模な開発も、現地の人たちだからこそできる細かいニーズを捉えた手仕事も、どちらも地域の生活環境の改善には欠かせない。しかし、若宮さんは特に、現地の人たちの手仕事や生業を通して自然と行われる地域貢献のありようを見て、「純粋にかっこいいと思った」と語る。外からの地域貢献だけではなく、内からの地域貢献という形があった。

このセネガルでのふたつの実感から、「開発ワーカーとして働くより、もっと豊かな働き方があるのでは」と考え始めた。

「セネガルの現地に住む人が生業を通じて自然と地域貢献をしているように、地域貢献と旗を振った仕事“ではない”仕事がしたい。また、仕事の場と生活の場が近い仕事、自宅で仕事ができる形にしたい」

若宮さんの働き方に対する考えの核ができた。新しい仕事の展開を考えている最中、カーボベルデへの旅行でゲストハウスに宿泊した際に「これだ」と直感的に閃く。

「ゲストハウスなら、自宅でできるし、海外旅行でのゲストハウスへの宿泊経験もあるので、ゲストの要望にも応えられる」

セネガルへ赴任してわずか1年弱、このようにして若宮さんの進路の目標は国際開発のプロになることから、「ゲストハウスの開業」に大きなシフトチェンジを遂げた。

セネガルで計2年勤務した後、帰国。ゲストハウス開業に備え、高松市内のホテルで働き始めた。同時に開業場所についても考えを巡らす。

「自身のアイデンティティがあり、最も貢献したいのは地元。地元として最もアイデンティティを感じられるのは自分が生まれ育った小中学校のエリアぐらいまでかなと。そこで開業しようと考えた」

2014年に観光町にゲストハウス「若葉屋」を開業した。今となっては高松市内にゲストハウスは10軒ほどあるが、当時は2軒目だった。建物はゲストハウス兼自宅で、自宅で仕事ができるという夢も実現した。自宅で家族との時間を過ごしながら、ゲストハウスで呼び鈴が鳴れば、ドアひとつ隔てた自宅からすぐにかけつけることもできる。

 

(若葉屋のドミトリーの客室=高松市)

(若葉屋のドミトリーの客室=高松市)

 

「ゲストハウスの運営では『宿泊する方の旅をいかに楽しくできるか』を1番大切にしている。自分も旅行が好きなので、半分は宿泊者と同じ立場にいる。旅行好きの自分が『泊まりたい宿かどうか』を考えて運営している。海外からの宿泊者の場合、何ヶ月も前から旅行の準備をし、旅行をとても楽しみにしている。その旅行をできる限り楽しいものにするお手伝いをすること。例えば、チェックインのときに旅程を聞いて、より充実した旅程が組めそうであれば、若葉屋をキャンセルして宿泊場所の変更を勧めることもある。旅の満足度が高まれば、訪れた地域への印象も良くなり、地域にとって良い連鎖が生まれていくはず」

若宮さんがセネガルで見た、手仕事や生業が自然と地域貢献につながる情景。まさに若宮さんはここ若葉屋にて、セネガルでかっこいいと感じた村人たちと同じ役割を担っている。若葉屋を通じて宿泊者と地域との間に温かい接点が生まれる。若宮さんの行動の積み重ねは、確実に地域の豊かさにつながっていく。

「来る人の旅をいかに楽しくできるかを追求することは、毎回同じ対応をしていれば良いというわけでもない。常に高松や四国の新しい情報を吸収する必要があるし、季節等に合わせた情報提供やおもてなしができた方が良い。自分も新しいところに行って感覚を養ったり、現状維持だけではなく、常に最新を求め続ける必要がある」

凡事徹底。若宮さんは「旅を楽しくする」という命題を丁寧に丁寧に追求している。細かい改善点はまだまだたくさんあり、時間は全く足りていないそうだ。

また、将来の展開についても聞いてみた。

「事業を拡大することは全く考えていない。例えば2号店を出すと、その2号店で行われているゲストとのやりとりから疎遠になり、今持っている仕事の手ざわり感みたいなものがなくなってしまう。今の活動を続けていくことが目標」

丁寧にひとつひとつの小さな改善を続けていくこと。これをいつまで続けるイメージなのか。

「ずっと、続けたい」

驚いた。「一生、続けたい」と思えること、「これを死ぬまで続けることが最も幸せだ」と思えることを、30代で見つけられている人の方が恐らく少ないはずだ。若宮さんは、今の活動を続け、家族との暮らしを大切にしていくことが最も幸せだと確信できている。

「親の近くで暮らせているのもとても良い。子育てでもとても助かる」

と、笑顔で今の暮らしの豊かさを語ってくれた。

「豊か」な暮らしは誰しもが求めるものだろう。しかし、「豊か」の感じ方は人によって違うし、それぞれで実現するためにクリアしなければいけないハードルもある。ただ、ハードルを飛ぶ前に、一度人の目や見栄を取り払い、自分が感じる豊かさに「素直になること」がまた重要なのではないかと思う。人目を気にした目立つ豊かさに敏感になるのではなく、自分の内に染みる豊かさに自覚的であること。

地方創生が叫ばれる中、イノベーティヴな事業や大規模で派手な事業が注目されがちだ。しかし、若宮さんは、家族だったり、事業の手ざわり感だったり、生業を通じた内からの地域貢献だったり、自分が思う豊かさの感覚や方向性を自覚し、強い芯を持ってその方向に舵を切っている。流行や他者からの評価ではない、自分の足元を支える豊かさは何か。見栄や虚栄心を取り払い、自分の胸に手を当てて改めて問い直してみたい。

地域は、そこに住む人がいて、住む人の生業や暮らしが集まってできている。若宮さんのような生業と暮らしと地域とが絶妙にバランスした等身大の豊かな生き方は、個人にも地域にもポジティヴに作用するだろう。宿泊者だけでなく、その背中を見た街の人たちにも、きっと伝播する。外からの地域貢献と、内からの地域貢献。後者は、大きな変化ではなく、地域に少しずつ染み渡っていくものだと思う。ひとりひとりの生業と暮らしと地域貢献と、すべては地続きなんだと改めて感じる機会だった。

 

 

若宮 武さん|ゲストハウス若葉屋

1983 香川県高松市 生まれ 松島小学校、光洋中学校、三木高校卒
2006 大阪外国語大学 開発・環境専攻(モンゴル語) (現・大阪大学外国語学部)卒
2006 トラスコ中山株式会社 就職
2010 青年海外協力隊 セネガル 派遣
2012 帰国・帰郷、リーガホテルゼスト高松 就職
2014 ゲストハウス若葉屋 オープン

 

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