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車で移動するまちの未来と、歩いて移動するまちの未来

  • 真鍋 康正さん
  • 2017.06.11
  • 香川県高松市他

テレビを点けると大歓声が耳に入る。スポーツ中継で、あるチームの劇的な勝利が映し出されていた。活躍した選手の興奮気味なインタビューと、対称的に冷静な監督のインタビュー。監督はいつも選手から一歩引いて、広い視野で物事を見ているものだ。ふと中継を見ながら、「スポーツの監督と、会社の社長は、似ているかもしれないな」とたわいもないことを思った。組織の目標(スポーツの場合は「チームが勝つこと」に設定される場合が多い)を達成するために、組織の力が最大限発揮できるよう、全体をコーディネートする。また、目標が継続的に達成できるよう、現在だけでなく未来も見据えた舵取りを行う。スポーツチームにとっての監督と、会社にとっての社長。与えられた役割は似ているように思う。

香川県民にとっておなじみの鉄道、「ことでん」。高松琴平電気鉄道の社長を務めるのが真鍋康正さんだ。真鍋さんは、一言で言うと、広い視野と深い視座を併せ持った人だ。真鍋さんと話していると「そこまで考えるのか」とうなるような事柄にたくさん出会う。ことでんの敏腕社長は、スポーツチームの監督を務めてもきっと名監督になるだろうなと思う。

 

(海沿いを走る「ことでん」)

(海沿いを走る「ことでん」)

 

「最初は香川に戻ってくるつもりは全くなかった。就職活動の時期が、ちょうど日産自動車の経営が傾き、ルノーへの買収の話が出たタイミングと重なっていた。実家は車のディーラーをしていたので、バブル経済が終わってからクルマも売りづらい。いずれ会社が続けられなくなるだろうと思っていて、自分は東京でしっかり頑張ろうと思い、経営コンサルや投資会社に勤めた。今思えばここで、企業価値を高めるという仕事を、ハードワークでシビアに追求した経験は後に生きたと感じている。一方で父は、それまで別の人が経営していて倒産したことでんの再生に乗り出していた。だが、簡単に再生できるとは思えない。そのような中、金融に身を置いていたタイミングでリーマンショックに直面し、そこから意識が少しずつローカルに向き始めた。殺伐とした東京に比べ、景気に左右されない普遍的な価値が地方にはあるのではないかと感じることもあり、東京から四国を応援する活動を始めた。父も70歳になり、はっきりは言われなかったが、ことでんの経営を一緒にやりたいという思いも感じ、香川に戻りことでんの仕事に就くことを決めた。『なぜ、地方で公共交通が成立しているのだろう』『地方にとって公共交通ってなんだろう?』と当時は純粋な興味も抱いていた」

真鍋さんが興味を抱いたように、車社会である地方の公共交通の経営環境は極めて厳しい。実際、高松琴平電気鉄道は2001年に民事再生法の適用を受けている。ICカードや様々なところで登場するマスコット駅員の「ことちゃん」がイルカなのは、「ことでんは、いるか?」と世間に問い直すためだという大人の事情を耳にしたことがある。

これを読まれている皆様は、ことでんを利用されるだろうか。以下を読み進める前に、一度ここで、「香川にどうしてことでんがいるか」を頭の中に思い描いた上で、読み進めていただければと思う。真鍋さんは公共交通の担い手として、広い視野と深い洞察でその役割と未来を語ってくれた。

 

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「地方の暮らしの豊かさを提案したいと思っている。そのひとつの要素が交通。地方は車社会で、公共交通の意味や必要性が理解されないと感じることもある。なぜこのまちに公共交通が必要なのか。まず、人の移動の仕方によって、まちが大きく変わると考えている。『車で移動するまち』と『歩いて移動するまち』。どんな違いがあるか。ひとつは『風景』の見え方が変わってくる。車で移動するまちは二地点間を短時間かつ最短距離で結んで便利ではあるが、運転しているのだからゆっくり風景を見ることは少なくなる。二地点の間や途中の風景を知らなくなるし、まちもその途中が必要なくなる。一方、歩いて移動するまちは、車移動で通り過ぎていたものが見えるようになる。お店に寄り道することもあるだろうし、例えば友人が商店街で古本屋をやっているが、こうしたお店は『歩いて移動するまち』でなければ成立しない。歩いて移動することは多様な文化の集積につながる。まちの多様性への許容度は歩いてこそ広がる。
この『歩いて移動するまち』を支えるのが、公共交通だと考えている。公共交通が豊かであることは、まちの文化の定着や多様性につながる。例えば、公共交通は、マイノリティに優しい。子どもやお年寄りや障がい者や旅行者や外国人。車社会の計画で置いてけぼりの人たちの移動を支えている。これによって、多様性を持つ人がまちに集まることができ、まちの文化の多様性を支えることができる。
人が『歩きたいまち』をつくりたい。そのために交通だけでなく目的地づくりもできればという想いで、街中の店舗や宿泊施設の運営にも協力している」

真鍋さんが考える公共交通とまちのつながり、ことでんがまちに必要である理由は、一市民が考える以上に深い視座を伴っている。またこのようなまちは夢物語かと言えばそんなことはない。実際に成立しているまちの姿が真鍋さんの頭には思い描かれている。

「ひとつのモデルがヨーロッパの地方都市。アメリカのポートランドやデンバーも面白い。ヨーロッパを見ると高松よりも小規模なまちであっても、公共交通が豊かに機能している例がある。強く感じるのは『公共性』への意識の違い。日本では公共交通に対して、消費者としての意識、『サービスを買っている』という意識が強いと感じている。一方でヨーロッパでは公共交通に対して、『みんなで負担して支えている』という意識が強いように感じる。老若男女誰もが行きたい場所に移動する権利があるのだという移動権への意識が高い。だから公共交通を例えば医療のようにみんなで支えるものとして捉えている。自分や身近な人が車に乗れなくなる状況は起こりうる。公共性への意識が高ければ、マイノリティの方々が乗車したときも温かい。税金が高いためどこに使われるか敏感だというのもあるかもしれないが、市民意識の中のそうした『公共性』を高めていければとも考えている」

豊かであたたかいまちなんだろうな、と思う。公共交通が豊かであることで、文化や集まる人の多様性を支えられると真鍋さんは語ってくれた。多様な人が集い、その人たちを公共的な意識を高く持って支えることができれば、まちとしてとても豊かであたたかいまちになるだろうなと思う。

「これから急速に人口減少が進み、人が住むまちの縮減も急速に進む。道路の整備がまちの拡大だったとすれば、もう一度まちを凝縮するのが公共交通の役割。元々のまちの成り立ちを考えると、ばらばらで住んでいた人たちが、集まって住む方が便利だからまちができた。それが集まりすぎたことで郊外に広がる流れが生まれた。この先人口減少が進み、再び郊外で人がばらばらで住む状況が生じる。再びうまく人が集まって住めるように、何世代もかけて少しずつ前進していく必要がある。例えば、今は郊外に一軒家を所有したいという人が多いが、マンションのようにまちの中心地にひとつの建物をシェアして集まって住むことも選択としてありだと思うし、例えば車も所有するのではなく、シェアをするという選択もある」

公共性の高いあたたかいまちで、所有するだけでなくいろいろなものをシェアし合う。シェアリングエコノミーは、匿名性の高い都会以上に、地方だからこそあたたかく豊かなまちのあり方のひとつになるかもしれない。

そんなまちを支える公共交通を大切にしたいという想いが渦巻き始めた中、真鍋さんは少し先に訪れるかもしれない未来についても語ってくれた。

「急速なモータリゼーションが進展した時代から、文化や質感を大切にする時代に少しずつ変わってきている感覚があり、追い風が吹いているかなと感じている。加えて、香川は平たんで、良いまちはつくりやすいはず。
ただ、この先に想定される社会の変化もある。例えば、自動運転。この技術が発達したときに果たして公共交通は必要なのか。あくまで最優先されるべきはまちの文化であり、豊かさ。そのためのより良い移動があるべき。テクノロジーが進化して、家にいてもたいていの事ができる時代が来ている。それでも人が移動する目的として残っていくのは『人に会うための移動』だと思う。学校や会社で人に会う、あるいは何気なく友人に会うために、移動や交通の必要性はある。それを公共交通が担うのか、担わないで他の手段が担うのを見守るのか。最終的にはそれを見届けることが仕事になるかもしれない」

ここまでの話は、真鍋さんが社長として担っている公共交通を「残すため」その逆算から語られている話ではない。会社のためではなく、あくまでまちの豊かさのため。「最優先されるのはまちの文化であり、豊かさ。そのためのより良い移動」。真鍋さんのこの言葉に集約されている。

 

(イベントで公共交通について語る=香川県高松市)

(イベントで公共交通について語る=香川県高松市)

 

話を聞きながら、実は少し違和感に近い感覚を持っていた。

「どうしてこんなに広い視野で、公共的な観点で、物事を捉えられるのだろう?」

その理由を考えていると、ひとつの答えに辿りついた。

真鍋さんは社長でありながら、ことでんの理想を語っていない。語っているのは理想の社会だ。真鍋さんは、チームの監督の立場にありながら、スポーツ界全体を見るコミッショナーだったりチェアマンだったりの立場から物事を捉えている。会社のベストではなく、社会のベストを目指している。これが抱いた違和感の原因だった。

会社経営について話を聞いている際に思わぬ言葉が耳に入った。

「経営者に向いているとは、今でも思っていない。家で本を読んでいるのが一番好きな、インドアな性格だし、学者になると思っていた」

「経営者ではなく学者」という言葉で、すべてがつながった気がした。真鍋さんは経営者であると同時に、学者のような感覚で、真にまちの良い在りようを追求しているのだ。チームが勝つこと以上に、本質的にそのまちにとって必要なことを見据えている。経営者であり、学者でもある。だからこそ、広い視野があり、深い視座があり、高い公共的な視点がある。これが真鍋さんの正体だと気づくと、合点がいった気がした。真鍋さんの描く公共交通の未来、まちの未来は、あたたかくもあり、またとてもリアルでもある。

 

真鍋さんが公共交通の担い手で良かったと思う。交通を必要としない人はいないし、鉄道は公共的な側面が強いものだ。公共を担う人は、シビアな民間感覚と、高い公共性を併せ持っていないと舵取りが難しいだろう。話を聞いた限り、真鍋さん以上の適任は、思いつかない。

真鍋さんが担ってくれているなら大丈夫。そう思ったと同時に、一市民として公共交通を支えられるよう、公共的な感度の高いまちにできるよう、その一助になれればと強く思った。

 

 

真鍋 康正さん

1976年高松市生まれ。1999年一橋大学経済学部卒。
経営コンサルティング会社などを経て、2009年帰郷。
2001年に民事再生法適用したことでん(高松琴平電気鉄道)、ことでんバスなどの再生に従事。現在ことでんの他、ことでんバス、ことでんタクシー、アイル・パートナーズなどグループ各社の代表取締役社長。

 

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