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「地域に恩返し」という想いの進化系、「誰もが安心して暮らせる地域をつくること」

  • 今川 宗一郎さん|株式会社イマガワ
  • 2017.09.26
  • 香川県三豊市

「パパ、これ買って!お願い!」

おもちゃ売場で小さな男の子が涙ながらにお願いする手には、アンパンマンの人形が握られている。アンパンマンは50年もの間、日本の子どもたちのヒーローだ。

そんなアンパンマンは、実は他のヒーローとは少し違うという話を耳にしたことがある。強力な武器や力で自らの“正義”を主張し“悪”をねじ伏せる、そんな正義の危うさを先の戦争で感じた作者が、「困っている人に食べ物を届ける」という立場や国が変わっても決して逆転しない、人に寄り添う正義を描いているのだという。

三豊市仁尾町のスーパー「イマガワ」の今川宗一郎さんは、唐突だが、仁尾町のアンパンマンのような人だと思う。外見の話ではない。今川さんの考え方や活動は、地域のヒーローのように見えることがある。そして、そのヒーローは強いものが自分の正義を主張したり、勧善懲悪で悪を律したりするのではなく、あくまで地域の子どもや高齢者等に寄り添う、あたたかさのあるヒーローである。

 

「人として圧倒的な敗北感を感じた」

と過去を語る今川さんは生粋の仁尾町生まれ仁尾町育ちだ。大学進学で一時県外に出たものの、中退して仁尾町に戻り、現在も仁尾町で暮らしている。昭和32年に祖父が開業した八百屋の3代目。2008年に大手スーパーが仁尾町から撤退し、現在はスーパーに業態を変えながらも仁尾町で3代・60年に渡り、町民の食を支え続けている。そして現在はスーパーだけに留まらず、様々な事業を展開している。しかし、地域を支える多様な事業を、最初から順風満帆で展開してきたわけではない。

「地元に戻ってイマガワの仕事を始めてからしばらくは、イマガワの仕事をしているだけで特に何も活動はしていなかった。きっかけは、2012年の仁尾まちなみ創造協議会の活動。その流れから、協議会に参加した若手メンバーの仲間で、食のイベントを開催し、町内外の多くの人に参加してもらった。そのときひとりの若手メンバーから『これから何をしていきたいのか』という質問をされたときに、明確な答えを返せなかった。明確なビジョンがある人に、人として圧倒的な敗北感を感じた。地元のスーパーで働いて、ある程度しっかり考えてきたつもりだったのに……。ここから、自分の中で“もやもや”が大きくなり、『変わりたい』という気持ちを強く持ち始めた。その年の秋に、中小企業家同友会のプログラムに参加し、自分がやりたいことが何かを見つめ直す機会を持った」

そこで今川さんが見つけたやりたいこと。それは、

「地域に恩返しをする」

ことだった。このビジョンが明確になってから、今川さんの周りで急速に大きなうねりが生まれ始める。ほとんど同時期に、3つの案件が今川さんの元に舞い込んだ。

 

(離島での移動販売の風景=佐柳島)

(離島での移動販売の風景=佐柳島)

 

2015年初頭、佐柳島・高見島で事業を行っていた移動販売の事業者が廃業するという話を耳にする。

離島や過疎地域では、買い物に行くにも船やタクシーが必要で、金銭的な負担が大きい。週に1度程度しか買い物に出られず、高齢者は重い荷物を運ぶことも体力的負担が大きい。いわゆる買い物弱者と呼ばれるような方々が地域には多くおり、それは今川さんの地元でも同様だった。

「元々、移動販売はやってみたいという想いがあった。今後需要が出てくることだと感じていたし、スーパーで待つだけではなく必要とする人の元へ売りに行くことは必要なことだと感じていた。また、移動販売は自分たちのような地場の小回りの利くスーパーだからこそできること。仮に商品が売れ残ったときも店舗で販売でき、廃棄のリスクを減らして事業を行える」

買い物弱者を少しでも減らしたいという想いから、イマガワで移動販売の事業を新しく始めることに決めた。今では、佐柳島と高見島だけでなく、三豊市詫間町の3つの地域にもエリアが拡大し、多くの方々の買い物を支えている。

「継続するために事業ベースに乗せることも重要。2017年には移動販売を事業的に成立させたいと考えている」

NPO等が社会的に非常に価値のあることをしているのに、継続が難しいという話を頻繁に耳にする。社会に貢献するだけにとどまらず、持続可能な事業を行うため、黒字で運営することにもこだわる。行政からの支援が無くなると継続できない事業にしないこと。地域に活動が永続するためには欠かせない視点だ。

「将来的には販売エリアを拡大し、特に仁尾町内を回りたいと考えている。イマガワはずっと仁尾町の人に支えてもらっている。仁尾町の人が困っているときに頼りがいのあるお店でありたいし、仁尾町の人に安心して買い物をしてもらいたい」

実現すれば、今川さんの「地域のために」という想いをひとつ形にするものになるはずだ。

 

続いて、2015年の春には仁尾町の父母ヶ浜にある「KAKIGORICAFEひむろ」の事業を引き継ぐこととなる。この「ひむろ」は、先代のオーナーが「父母ヶ浜にたくさんの人が来てほしい」という想いから始めたお店だった。しかし、採算が厳しく、事業を畳むという話が舞い込んできた。

「採算的に厳しいということは理解していたし、引き継ぐのは不安だった。しかし、オーナーの想いに共感していたし、引き継ぐことを決めた」

かき氷屋単体で大きな黒字は出せなくとも、スーパー等の事業と併せてどうにか存続させていけないか。夏は自らかき氷屋の店頭に立ちながら、事業再生を試み、今では夏は3時間待ちという日も珍しくない人気店となっている。

「自分の力じゃないものが大きい。SNSでの情報発信など、目に見えないところで本当に多くの人が力添えをしてくれたおかげ。自分でやっているという感覚がない」と笑う。

 

そして、さらにもうひとつ。2015年春、仁尾町にあるかまぼこ屋「さるしや」の事業を引き継いだ。

「イマガワとさるしやは、古くからイマガワにかまぼこを卸してもらっている長い付き合いのある間柄だった。しかも、仁尾町にスーパーが進出したとき、さるしやのかまぼこを扱いたいという話を持ち掛けられたことがあったそうだが、さるしやのオーナーが『イマガワに卸しているからダメだ』とイマガワ以外の店への卸売を断ってくれた。本当に義理人情に熱い人だった。さるしやのかまぼこは本当に地元の人から愛されている商品で、だからこそ事業を畳むという話を聞いたとき、『ぜひ、イマガワで引き継がせてほしい』という強い気持ちが湧き、相談を持ち掛けた」

さるしやからも了承され、今川さんはさるしやのかまぼこづくりを一から勉強し、さるしやのかまぼこを仁尾町に残した。今では、毎朝さるしやでかまぼこを作り、昼からスーパーの仕事をする毎日だ。

 

「地域に恩返しを」という今川さんのビジョンが固まってからわずか半年の間に、立て続けに舞い込んだ話を、今川さんは地域への想いからすべて全力で受け止めた。並大抵のことではなかったはずだ。

2015年から16年までは引き継いだ事業をしっかりと軌道に乗せることでいっぱいいっぱいだったと語るが、今川さんのおかげで仁尾町に地域の宝が残り、だからこそ今川さんはこれまで以上に仁尾町にとって今では欠かせない人になっている。

 

(移動販売での買い物の風景=佐柳島)

(移動販売での買い物の風景=佐柳島)

 

そして、2017年、今川さんが事業とは別に新しく始めた活動が「瀬戸内0円キッチン」だ。

「移動販売も、ひむろも、さるしやも、人から引き継いだもので、コンセプトの部分から自分で組み立てて社会に発信していくというプロジェクトは、自分の中で初めてだった」

瀬戸内0円キッチンとは、地元の廃棄予定の食材を持ち寄り、それをシェフや地元の人たちの手で料理をし、地元の人々に大人500円・子ども100円で振舞うイベントだ。

「2016年の秋に『こども食堂』の取り組みを耳にする機会があり、社会的に意義のある取り組みだと感じた。ただ、子どもの貧困対策としてこの取り組みが語られており、ここに足を運ぶ子どもが『貧困である』と受け取られてしまうんじゃないかという想いがあった。これでは親御さんが子どもを連れて行きにくいはず。子ども食堂の本質は、貧困対策はもちろんだが、子どもがひとりで来れること、子どもの孤食を防ぐこと。子ども食堂より、もっと誰しもが気軽に敷居なく集え、親御さんも子どもを連れて来やすい、そんな場をつくりたいと考えた。コンセプトを考えている頃、SNSで『0円キッチン』という映画の存在を知り、ピンときて『これだ』と思った。廃棄食材の問題に光を当てれば、『貧困』というイメージと結びつきにくくもなる。仁尾町でこんな場がつくれればと思い、瀬戸内0円キッチンとして始動することにした」

始動してから、5回で延べ200人が足を運んでいる。

「地域のためには、次の世代のことを常に考えていかなければいけないと思う。子どもが大人を見れる場、自分たちが憧れられるような大人として、これからの社会をつくっていく子どもたちに頑張る姿勢を見せる場が必要だと思う。何かをするという姿勢が大切だと思うし、そういう大人であり続けたいと思う」

地域の財産は何よりも人だ。そして、地域の未来をつくるのは子どもたちだ。今川さんのような背中を見た子どもは、きっと何かを感じてくれるはずだ。

「0円キッチンは、まずは地域に根付いてほしいと考えている。認知度を高めることと、廃棄食材の提供者を募ることが継続のカギ。将来的には、こうした取り組みが徐々に全国に広がっていけばと思う」

と語る。仁尾町発の取り組みが、香川に延いては四国に広がり、今川さんの想いが伝播する日がきっとくるはずだ。

 

そしてさらに、2017年夏には、仁尾町に根ざして地域活動を行う若手の団体である一般社団法人誇の代表となった。

「ひとりのメンバーとして関わっていたが、あまり力をかけることができず、あるプロジェクトの際に『もっとおもしろいものができたのでは』という後悔があった。誇の代表就任の話が持ち上がり、迷ったが、今までメディアに取り上げてもらったり、様々な支援をいただいた団体を、収束させることはできない。後悔と、恩義と。代表として活動していくことを決めた」

誇は、仁尾町がまだ村だった頃の元村長が居住していた古民家「松賀屋」の再生に取り組んでいる。シェアビレッジという古民家を全国の人で支え合う仕組みを活用しつつ、宿泊施設として、または様々なイベントで人が集う場所として、長らく空き家となっていた町のシンボルを、少しずつ人に開かれた場にする取り組みだ。

「まずは、シェアビレッジの収益化を図ること。そして、やはり修繕が大きな課題なので、修繕やリノベーションをいろいろな人を巻き込みながら進めていきたい。松賀屋を中心に、次の世代につなげていく。松賀屋が次の世代に仁尾をつなぐその中心になってくれれば」

 

(瀬戸内ゼロ円キッチンの第1回=三豊市仁尾町)

(瀬戸内ゼロ円キッチンの第1回=三豊市仁尾町)

 

話を聞いていて、今川さんの多岐に渡る取り組みは「地域に恩返しを」というビジョンから、もっと深いところがあるような気がしていた。そして、いろいろ話を聞く中で、いよいよその答えのような言葉に辿りついた。

「誰もが安心して暮らせる地域をつくりたい。子どもも、高齢者も、誰でも、みんなが安心して暮らせる地域。都会からではなく、田舎からこそそんな価値観が生まれていけば良い。そして、大事なのはそれを『楽しくやる』こと」

「地域に恩返しを」という想いが今川さんのビジョンだ。しかし、今の今川さんはその想いの進化系を携えているように感じた。それは、

「“誰もが”安心して暮らせる地域をつくること」

子どもも、高齢者も、誰でも。今川さんは、いわゆる買い物弱者だったり、子どもだったり、“誰もが”というときに溢れてしまうことのある人たちが常に目に入っている。特定の人の生きやすい世の中ではない。“誰もが”生きやすい世の中。多くのたちを支えながら、しかも地域の中に楽しく巻き込む。いっしょに楽しく過ごすことで、今川さんの周りはみんなが友達のようなあたたかい空気が生まれている。

ここで冒頭のアンパンマンの話を思い出したのだ。強い者の正義を力で叶えるのではない。「困っている人に食べ物を届ける」という立場や国が変わっても決して逆転しない、人に寄り添う正義。「誰もが安心して暮らせる地域をつくること」。この姿勢が、今川さんをどこか地域のヒーローのように感じさせた要因であり、しかもただのヒーローではなくアンパンマンのような“寄り添う”ヒーローを想起させたのだと気づいた。もしアンパンマンの元に今川さんと同じ話が舞い込んだら、アンパンマンは今川さんと同じことをするんじゃないかとまで思う。

 

最後に、今川さんに、これからの将来の話を聞いた。

「地域に喜んでもらえること、応援してもらえることを形にし続けたい。自分のためだけではなく、自分のやったことが周りのためにもなる、そんな事業を続けていきたい。たくさんのご縁の中で経験を積み重ねていき、恥をかきながら前に進んでいきたい」

仁尾町は、きっと「誰もが安心して暮らせる地域」になる。今川さんがいれば大丈夫だ。そう確信した時間だった。

 

 

今川 宗一郎さん|株式会社イマガワ

1986年三豊市生まれ。
大学中退後、実家のショッピングストアー今川の手伝いを始め、2011年に(株)イマガワを設立。 現在ショッピングストアー今川、KAKIGORICAFEひむろ仁尾蒲鉾店「さるしや」移動販売サンサンマーケットを事業展開。(株)イマガワ取締役。

 

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