「今、農業がめちゃおもしろい」-つながりがつくる農業革命
- 鈴木 茂昌さん|あすぱら屋しげ
- 2017.12.17
- 香川県丸亀市
朝のもやに陽の光が差し込み、1日が始まる。一段と冷えた朝だ。
「寒い、休みたい」
そんな弱音が頭の中にちらつく。しかし残念ながら、畑の野菜はそんな気持ちを汲んでくれはしない。寒い日も、暑い日も、晴れの日も、雨の日も、欠かすことなく向き合い続けなくてはならない、大変な仕事だ。しかしまた、その実直な毎日と創意工夫の積み重ねが、「おいしさ」として直に跳ね返ってくる、この上のなくやりがいのある仕事でもある。
「今、農業がめちゃおもしろい」
そう言って憚らない方がいる。丸亀市で農家を営む鈴木茂昌さんだ。少子高齢化が進み、産業として厳しい状況に直面する農業。3Kと言われ敬遠する若者も多い農業。そのような逆境の中、鈴木さんは今農業がおもしろくて仕方ないのだと言う。旧態依然とした印象のある農業の世界だが、鈴木さんの農業に感じたのはその真逆、今をときめくシリコンバレーのイノベーティヴな企業との共通項だった。
鈴木さんは地元丸亀市の生まれ育ち。両親が農家を営んでいたものの、学生時代は農業から全く縁遠かった。高校の普通科を経て、関西の大学の法学部を卒業。民間企業でサラリーマンとして働き始める。しかし、就職した企業は鈴木さんの肌にあまり合わず、わずか3ヵ月で退職する。元々退職者の多い風土だったと言う。
「ある種の閉所恐怖症みたいなもの。一生この会社にいることへの閉塞感が大きかった」
退職後、関西で職を転々とした。何と一時期、ホストクラブでボーイとして働いていたこともある。お酒が飲めないにも関わらず、である。鈴木さんの抜群のコミュニケーション能力の一端がこのエピソードから垣間見えた気がした。
様々な会社で働く中、関西での仕事や暮らしに閉塞感が大きくなってきたと言う。今のままで良いのかを自問自答する中、実家へのUターンが改めて選択肢として浮上した。20代後半に差し掛かった頃である。
「最初は、『農業なんて』と全然前向きに考えていなかった。しかし、30歳が視野に入るタイミングでいろいろ考えた結果、元々農業が嫌いなわけではなかったし、関西での仕事や暮らしがおなかいっぱいな気持ちだったこともあり、Uターンすることに決めた」
「振り返ってみると、社会人ですぐに農業を始めていたら、今みたいにはなっていないと思う」
酸いも甘いも含んだ多様な経験を有するからこそ、物事を多角的に見たり、違う切り口から挑戦できることもある。一見遠回りのように見える日々も、鈴木さんの血肉となっている。
地元・香川で農業に携わることを決めた鈴木さんは、行政の制度を活用し、県内の農家へインターンして農業を学び直すことに決める。このインターンが、鈴木さんの農業の礎をつくってくれた。
「真鍋さん(※鈴木さんのインターンの受け入れ先のアスパラ農家さん)がいないと、今の自分はいない」
師と仰ぐ人からみっちりと農業を学ぶかけがえのない時間となった。今でも関係は続いているという。真鍋さんの下でのインターンを経て、満を持して実家の農家を手伝い始めた。しかし、親の手伝いを始めて5年ほどは、全く余裕が無い苦しい日々に直面してしまったと言う。
「毎年同じように生産・出荷しているだけで、徐々に売上が下がってしまっていた。しかし、親は『今までこれでやってこれた』という理由で大きな変化を望まない。何より、変えるにしても、他のやり方が分からなかった」
このままでは中長期的に見て生き残れないと鈴木さんは強い危機感を覚えていた。しかし、日々の農作業を怠ることはできない。毎日の農作業を丹念にやれば1日はあっという間に過ぎた。売上が下がる中、資金的な余力も乏しい。時間も資金も少なく、現状をどう変えていけば良いのか分からない。貧すれば鈍する、そんな悪循環に陥る中、もがきにもがいた結果、鈴木さんはひとつのことを最優先にすると決めた。それは、
「外の場に顔を出し、情報とつながりを大切にすること」
だった。どれだけ忙しくても、疲れていても、お金が無くても、「人に会う」ことを最優先にする。この小さな一手が、鈴木さんの農業にポジティヴなうねりを生み始める。
「外の場に顔を出すことで、他の農家の取り組みやいろいろな情報が手に入り始めた。自分たちで考えているだけでは、やり方が見えなかったものが、話をする人が変わり、見え方が変わってくることで、少しずつやり方が見えてくるようになってきた」
特定の事柄にフォーカスし続けることで、視野が狭まってしまうことは誰しも起こりうる。増して、ものづくりに携わり、自分たちのつくるものの質に丹念にこだわる人は尚更だろう。
「他の農家からの情報を通して、全体を俯瞰して見られるようになった」
「それまでは『自分さえ我慢すれば丸く収まる』という考えだったが、『自分がこうありたい』という想いに正直に向き合えるようになった」
と語り、自身の農業をポジティヴに変化させるきっかけを、人とつながることで生み出すことができたのである。
そして、外の場に出たことによって生まれたつながりは、さらに大きな化学反応を生み出す。
「先行していろいろな取り組みをしている農家さんの元に、類は友を呼ぶ形でおもしろい農家が集まる。情報も集まってくる。例えば、『この野菜をこれくらい出荷できるところを探している』というマーケットの情報が入ってくる。単体の農家では受けられない場合でも、それを農家の間で共有し、横のつながりの中で少しずつでも生産できる人を募って生産し、出荷するという連携を図っている。従来の、売上の上がりそうな作物をプロダクトアウトでつくる形ではなく、マーケットインで生産する形。どうしても、ひとりでプロダクトアウトで行う農業には限界を感じている。多種多様なマーケットの情報やオーダーに対し、みんなで少しずつだけ無理をして応えていく、そんな変幻自在の農業集団ができつつある。『売上の上がる作物は?』と情報交換するのではなく、『どうにかして人を回せんか?』と聞き合うことが多くなった。所属している中讃地域青年後継者クラブという若手農家の集まりは、みんな脱サラした人ばかり。外の世界も知っている人たちが、win-winの緩やかなつながりをつくっている」
つながりがあるからこそできる農業の形だ。マーケットが望む作物があっても、単一の農家で大量の作物を急に生産することはリスクも大きい。翌年もう一度オーダーがくるかも分からない。しかし、それを横のつながりの中で連携して生産することで、リスクが低くマーケットの要望に答えることができる。何より、マーケットが望む作物を生産することを「無理だ」と突っぱねるのではなく、経験の少ない作物もおもしろがって挑戦してみる姿勢こそ大切な要素だ。変化や不確実性をおもしろがることができる。未来的なチームのありようだと思う。こうしたオーダーに応え続けてくれる集団には、マーケットの情報がさらに集まる好循環が生まれる。このように、少しずつ鈴木さんの周りにポジティヴな循環が生まれ始めている。こうした状況だからこそ、鈴木さんは、
「今、農業がめちゃおもしろい」
と笑顔で語ってくれるのだ。鈴木さんの明るい人柄や、熱い想いが引きつける引力が、この集団のアクセントになっていることは想像に難くない。
この緩やかなつながりをベースにした動きは、シリコンバレーの企業等で注目される「アライアンス(※末尾参照)」という考えに近似している。アライアンスとは、「会社と働く人が結ぶ、フラットで互恵的な信頼関係」のことを指し、そのような「パートナーシップ」を会社と個人が結ぶことを推奨している。具体的には、個人と会社が互いの成長/変革にコミットするよう価値観を整合させる、個人の社外人脈ネットワークづくりを奨励し仕事に活かす、退職後も個人と会社の信頼関係を続ける、といった具体施策が提案され、終身雇用とは異なる会社と個人を結ぶ雇用形態として注目を集めている。
鈴木さんたち一農家と、形成している農業集団の間にある関係性は、まさにアライアンスなのだろうと思う。双方に主従関係は無く、若手同士がフラットにつながり、ひとつひとつの農家の個性を尊重しつつ価値観が整合するところで連携し、外部を含めた幅広いネットワークを事業に生かす。イノベーティヴな動きの少なそうな農業の世界で、世界の最先端の動きが形になっていることに驚いた。少子高齢化社会の中ではローカルこそが最先端なのかもしれない。
最後に、鈴木さんに将来について尋ねた。
「日本の農家が生き残っていくためには、大量少品目の生産ではなく、気候・土地など地域特性に合わせた少量多品目の生産になっていくと思う。日本という土地で大量生産はどうしても難しい。自分もそれを目指している。幸い今は様々な作物を育てる経験を積むことができている。毎年少しずつ農地を増やしたり、今年の状況を見ながら『来年はあれをこうして‥‥』とニヤリとしながら来年の妄想を膨らませている。親にやらされていた農業から、少しずつ自分の責任でやる農業に変わってきた」
「自分のやりたい農業は、みんなに喜んでもらえる農業。みんなが大泣きせず、ちょっとずつ笑い合える仕組みづくりがしたい。余裕のない状態から、ひとりでも多くの笑顔を生める状態にしたい。個人的にやりたいことのひとつが、人を雇用してもっと納税するということ。堂々と仕事をして、農業が若い人が従事したいと思えるような、雇用のメインの受け皿になるきっかけづくりができれば。例えば、地元の同級生の子育て中のお母さんなど、働きたくても働けない若い人たちに雇用の機会がつくれないか考えている。消費者の『おいしい』という笑顔に出会えて、毎年経験を積み重ねながら試行錯誤できる仕事が農業。サラリーマンではなかなか味わえない」
「あの人、毎年なんなんや!と言われるような人でありたい」
そう言って笑う姿がとても印象的だった。
農業、おもしろいだろうな。純粋にそう感じた。
アライアンスを大事にしつつ、イニシアティヴを持って、挑戦し続けられる環境。事業を自分でハンドリングしているという感覚。毎年の積み重ねが蓄積されながら、アウトプットが直に見える事業。鈴木さんのような、変化や不確実性をおもしろがる若手農家が増え、つながりが多層的に広がっていけば、香川の農業はもっともっとおもしろくなる。そう確信することができた。
※「ALLIANCE アライアンス 人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用」
リード・ホフマン 著/ベン・カスノーカ 著/クリス・イェ 著/篠田真貴子 監訳/倉田幸信 訳
2015年7月発行
● 鈴木 茂昌さん|あすぱら屋しげ
香川県丸亀市出身。
25歳まで神戸で、30歳まで香川でサラリーマン。
その後、農業インターンを経て専業農家(あすぱら屋しげ)に。アスパラガスを中心に様々な野菜に興味津々。ここ数年は自分の作った野菜を営業する事の楽しさにも気付いてしまった38歳。