言葉の持つ力を信じること
- 中村 勇亮さん|本屋ルヌガンガ
- 2020.08.17
- 香川県高松市
「人生で、最も心に残っている一作は何ですか」
映画、音楽、演劇、絵画、本……人生を変えた一作があるという方、そんな大切な作品への愛を止めどなく語れる方も多いのではないだろうか。
高松市の田町にある「本屋ルヌガンガ」は、そんな一冊との出会いが生まれる場所だ。店主の中村勇亮さんは、安定したサラリーマンの仕事を辞め、独立して本屋を開業するという道を選んだ。出版不況が叫ばれ、Amazonを始めとしたインターネットが全盛の中、決して安穏な道でないことは誰しも分かるはずだ。
なぜ、リスクもある本屋という道を選ぶに至ったのか。「本が好きなんですね」と、人からよく言われると言う。もちろん好きなのだが、実はそれは中村さんの想いの一部でしかない。「本、そして言葉というものを信じていること」、これこそが中村さんの本質だと思う。
――このまま一生この仕事を続けて良いのか
中村さんは千葉県の生まれ育ち。父親が香川県の出身で、小学校6年生のときに、父親の仕事の関係で香川に引っ越し、高校卒業までを過ごした。長野県の大学に進学し、卒業後は愛知県の書店に勤め、その後商社に転職して人事を担当した。
「最初にのめり込んだのは実は映画なんです。高校時代に、部活が中心だったところから、徐々に映画に興味が移り、特に外国の作品をよく見ていました。自分の知らない外の世界を見せてくれるのが好きで。大学の卒業論文も映画批評について書いたんです。
就職活動時は、何か言葉と関われる仕事が良いと漠然と考えて、新聞社等を志望していましたが、結果的に書店に就職しました。元々本も好きでしたから。その後、商社に転職して人事を担当しました。管理職に上がるタイミングが近づいてきたときに、『今の仕事を続けても良いけど、このまま一生この仕事を続けるので良いんだろうか』という想いが芽生え始めたんです」
――本屋という選択肢の実現性
「個人で本屋を開くという選択肢は、以前は全く考えられない状況でした。10年で数人・数件ほどしかなかったと思います。そんな中で、東京・下北沢のB&Bなど、本屋+αの新しい業態が少しずつ生まれ始め、そのビジネスモデルやノウハウについての情報をたまたま目にしたんです。本屋がどうしてもやりたかったというより、『これならできるかもしれないな』という実感を持てたという方が合っていると思います。
そこから、1年半ぐらいかけて準備を進めました。妻にも子育ての傍ら本屋にアルバイトに行ってもらったりしましたね。元々書店で働いていたので、本屋の仕組みを広く理解できているという強みはあったと思います。
最初は香川に帰ろうというつもりもなかったんです。愛知でできないかとも考えましたし、いろいろな選択肢を検討して、今の店舗に開業することを決めました」
何か行動を起こすときに、「動機」はないがしろにしてはいけないとても大切なものだ。ただ一方、動機だけでリスクを伴う行動を起こすのが難しいこともまた事実だと思う。中村さんにとっては、動機の種に「実現性」が加わったことが鍵だった。人それぞれ、違う行動のスイッチがあって良いし、そのスイッチをどう押せるかが人のキャリアを形づくるのだと思う。
――本屋を開業する上で大切にしたこと
「これまでの町の本屋を見て、どういう本屋が求められるかを考えました。『これからの小さい町の本屋のスタンダードはこれだ』というものをつくりたいなと。
まず、いろいろなジャンルの本を満遍なく揃えました。その中でも専門的過ぎず、興味がない人でもその世界に入り込むことができる本を置くようにしました。今の時代、良い本をちゃんと選んで紹介しないとダメだと思うんです。これだけ本の種類が多いと、読むべき本を満遍なく追える人はいないと思いますし、選ぶことが難しいと思うので。そこで本屋の持つ専門性が役に立つことがあると思っています。
あと、読書会等を通じて、本好きが孤独を感じない場所やコミュニティもつくれたらと考えました。読書が趣味の人は多いはずですが、なかなかそれを共有する場が少ないですし、知的好奇心を満たす場が地方に増えればと考えていました」
「今の時代に求められる本屋」を考えて開業したルヌガンガは、高松の様々な方が足を運ぶ場になっている。思わず気になる本が店頭に並び、本にまつわる多くのイベントが開催され、人と本の良質な接点や本を基点としたコミュニティをつくる場になっている。
最近は県内の企業から自社のライブラリーの選書を依頼されるなど、地域との新しい関わりも増えていると言う。「本をいろいろなルートで届けられるのは良いこと」と中村さんは語る。
――本、言葉の持つ力を信じている
「自分の世界を大きく壊してくれるものが本だと思います。もちろん人によって、音楽だったり絵画だったりもすると思います。本を読むことには、消費でも勉強でもない深さがあります。
開業してから、背景や動機をよく聞かれます。ただ、本が偉大過ぎて、動機は必要としないんですよね。本は、ずっと昔から人の叡智の結晶ですし、著者や編集者等の多くの人の手を介してできている本そのものへの信頼があります。本を取り扱うというだけで、自分のやっていることを信じられます。あくまで偉いのは本なんです。その本を手に取る人が減っている現状をどうにかしたいという想いですね。自分ができるのは、陰から新しい回路をつくること、本に光を当てること、本の良さを損なわず過不足なく伝えることだと思っています。
今の時代、コミュニケーションのあり方が変わり、考えることの大切さも増す中で、その土台として、言葉の持つ力を信じるしかないと思っています」
冒頭に、中村さんが本を好きであることは、中村さんの想いの一部でしかないと書いた。中村さんには、本が好きであるという想いを超えた、本への信頼、そして言葉への信頼がある。自分のやることを心の底から信じられている強さがある。
思えば、本というものは、他に代替できるものがそうそうないものだ。人を人たらしめるもののひとつが言葉であり、何千年も昔から人は言葉によって思考し、コミュニケーションをしてきた。その時々の叡智を言葉にして本として残し、後に生きる世代が過去の叡智を生かしてきた。どれだけITやデジタルが発達しても、言葉や本ほどの長い歴史の積み重ねを持つものは存在しない。仮に今後、技術が発達して映像や音を直接脳に伝えられるようになったとしても、その感想や共感を人とシェアするためにはまた必ず言葉が必要になる。言葉というものが人に不可欠なものである以上、言葉をしたためた本の重要性が揺らぐことは長らくないだろう。中村さんが言うように、本は本当に偉大で替えの効かない存在だ。
――自分たちが成り立つことが、人に本を届ける場所を増やす
「3年間本屋を経営してみて、想像以上に高松の方々に必要としてもらっていますが、商売として楽勝ということは全くありません。状況が変わったときに生き残れるように、経営の土台をどうするか、日々模索しています。選書や貸し出しのノウハウを活用した企業とのコラボレーションを考えたり、通販でキュレーションして本を売る方法を考えたり、リトルプレスの制作を考えたり。
本を手渡す場所、本と触れる場所は、自店であろうが他店であろうが多ければ多いほど良いと思っています。本を取り巻く環境が厳しい中で、自分たちが成り立つことそのものが、本を届ける場所を増やすことにつながるのだと思います。『こういう形ならできる』というひとつの成り立つモデルをつくり、外に見せることが自分たちのひとつの役割だと思いますね。
市場が縮む中でどう勝負していくのか。根本的なことですが、信頼を積み重ねることしかないのかなと思っています」
中村さんがルヌガンガを成り立たせることは、偉大で大切な本と、人との接点を増やすことそのものだ。その接点から、人が言葉に向き合う機会が生まれ、社会の豊かさに波及していくのだと思う。そういう本屋が高松にあることは、まちの豊かさに確実につながっていると思う。
芸能でも芸術でも食でも、昔から続く大切なものを後世に伝えていくために、様々な取り組みが行われている。大事なことは、残すものは残し、変えるものは変える、このバランスだ。ITが発達し、情報が溢れる今、本にも似た側面があるのではないかと思う。中村さんの取り組みは、本という人の叡智の塊を、今の時代らしい形で次の世代に伝えていく、その壮大な挑戦の一端を担っている。
● 中村 勇亮さん|本屋ルヌガンガ
一九八二年生まれ。
信州大学人文学部卒業。
新刊書店で三年勤務したあと、商社に十年勤務。
退職後の二〇一七年八月、香川県高松市に本屋ルヌガンガをオープン。