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「スポーツに関わる仕事がしたい」という想いが、「地域に恩返しし還元する仕組みをつくりたい」という想いに深化した理由

  • 松下昇平さん|松下商店・元中土佐町地域おこし協力隊
  • 2022.08.30
  • 高知県中土佐町

スポーツ、七面鳥、地域おこし協力隊……一見全く結びつかない3つの言葉が結びつくキャリアを歩むのが、高知県中土佐町大野見に地域おこし協力隊として着任し、松下商店として起業し様々な事業を展開する松下昇平さんだ。中土佐町は、2006年に中土佐町と大野見村が合併したまちで、現在6,200人程が暮らしている。松下さんは、2017年に中土佐町大野見の地域おこし協力隊として活動を始めた。地域で自律的に活動し、また事業を拡大し地域に雇用を生むことに成功している松下さんに、ご自身のキャリアについて、地域おこし協力隊の事業づくりについて話を聞いた。

 

〈インタビュー相手〉

松下 昇平(まつした しょうへい)さん
昭和63年(1988年)、大阪府藤井寺市出身。平成16年(2004年)、米国テネシー州へ留学。テネシー明治学院高等部に入学。3年間アメリカのスポーツ文化に触れ(特にスポーツシーズン制度)、スポーツへの関心が高まる。また、アメリカの伝統的な食文化「七面鳥」にはこの時出会っている(まさか再会するとは…)。帰国後、スポーツを学ぶため、日本体育大学に入学。トライアスロン競技を専門とし、体育・スポーツを学び、体育の教員免許を取得。卒業後はスポーツに関わる仕事に就く。その後、トライアスロンの大会で訪れた中土佐町に「国産の七面鳥」が存在することを知り、衝撃を受ける。懐かしい食材への再会と学生時代に必要性を学んだ「タンパク質」が中土佐町で結びつく。国産七面鳥生産事業を継承することを目的に平成29年(2017年)に高知県中土佐町に移住。3年間、七面鳥生産に関する事業を学び、令和2年(2020年)4月に「松下商店」を創業。

 

――アメリカでスポーツを仕事にしたいと考えた松下さんが、地域おこし協力隊で七面鳥に携わるようになった背景

まず、松下さんが地域おこし協力隊に着任するまでのキャリアについて話を聞いた。必ずしも順風満帆だったわけではなく、協力隊は自分の望むキャリアを諦めるという苦難があった末の挑戦だったと言う。

「大阪の藤井寺市で生まれ、中学まで藤井寺で過ごした後、高校はアメリカに進学しました。アメリカに進学したのは語学のためだったんですが、そこでスポーツにのめり込んでしまって。元々好きだったスポーツがより楽しく感じられるようになって、スポーツに関わる仕事がしたいと思いながら帰国し、日本体育大学に進学しました。大学ではトライアスロンの選手でした。卒業後は、トライアスロンの選手を続けながら指導もしたり、スポーツクラブのインストラクターとして働いたりする中で、地元の藤井寺市のスポーツ振興課に臨時職員の募集があったんです。

スポーツに関わる仕事がしたいと思いつつ、学生時代からスポーツでお金を稼ぐのは難しいとも感じていました。スポーツの指導者はボランティアのケースも多く、お金に換算することが簡単ではありません。また、いろいろなスポーツの現場を見る中で、行政のような仕組みをつくる側に、体育専門の人がほとんどいないように感じていました。日体大の卒業生も、個人的な肌感覚ですが、体育教諭や警察や消防やインストラクター等として働く人の方が多く、行政で働く人はあまり多くないように思います。スポーツに関する仕組みをつくる側にいかないと変わらないのでは、と感じていました。スポーツ行政は専門ではなかったのですが、藤井寺市は人口60,000人程の小さな町なので、ボトムアップで何かしら動きがつくれる可能性を感じました。

アメリカで最も衝撃を受け日本に広げたいと思ったのが、シーズンスポーツ制度です。アメリカの学生は、春夏秋冬で取り組むスポーツが変わっていくんです。春は野球、夏はバスケットボール、秋冬はアメフト、のような感じで。高校ぐらいまではひとつのスポーツに絞ることなく、運動能力そのものを伸ばすことに力を入れていて、そうすることでひとつに絞ったときにも爆発的な力が出るように感じました。日体大で驚いたのが、野球でプロを目指す人が全く水泳ができなかったり、陸上でオリンピックを目指す人が全く球技ができなかったりします。様々なスポーツに触れる機会を持てるシーズンスポーツ制度に可能性を感じました。

東京で3年ほど働いた後、25歳で藤井寺市のスポーツ振興課の臨時職員に応募し、働き始めました。仕事はとても充実していて、1年程勤めた後、総合職になるための採用試験を受ける予定でした。しかし、ちょうどその年に年齢条件が変更になり、受験資格が無くなってしまったんです。

それまでは自分のやりたいキャリアを歩めていたのですが、本当にゼロベースで自分のキャリアについて考え直すことになりました。他の自治体のスポーツ振興課も受験したんですが、やはり物語のようなものがないと採用する側も難しいと感じました。そのまちに何の関わりもない人が、スポーツ振興をやりたいと話しても。

次のキャリアを模索する中で、自治体の移住相談会があり、情報収集のため参加したんです。高知県は、大学卒業の翌年に中土佐町のトライアスロンの大会に参加したことがあって、漁師町の手づくり感満載の大会でおもしろかった印象があったので、中土佐町に話を聞きに行きました。スポーツ関係の行政職を目指しているという話をしつつ、いろいろ話を聞く中で、中土佐町で七面鳥を生産しているという話が出たんですね。僕はアメリカで七面鳥を好きで食べていたので、話が盛り上がって。ちょうど中土佐町が、七面鳥の事業を担う地域おこし協力隊の募集をしていたタイミングでした。七面鳥は日本では珍しいですが、世界的には珍しい食材ではなく、アメリカではチキンに匹敵する量の2~3億羽います。高タンパクの食材として世界的に認知されていることを知っていましたし、これをアスリートに提供するような事業ができればおもしろいのではと直感的に思いました。アスリートだった自分が、人の身体をつくる食の業界にいくのも一定のつながりが感じられましたし、スポーツという自分の軸にもつながりがありました。

そこから、総合職の採用がないと決まった後も、スポーツ振興課の仕事は充実していたので、臨時職員を2年程続けながら、その間に5~6回ほど中土佐町に通いました。地域おこし協力隊に本当に挑戦するのか、どういうミッションでどういう役割が求められているかを理解したり、関係する方々と話をしたりするためです。正直、協力隊の仕事に不安がありましたし、求められていることと自分のやりたいことをしっかりとすり合わせしたかったので。

1番不安だったのは、地域に受け入れていただけるのかというところでした。まず七面鳥を生産されている生産者さんに直接お会いして、自分の経緯や考えを伝えました。また、協力隊の任期を終えた3年後に独立する難しさも感じました。七面鳥の事業をやりたい想いはありつつも、売上を見せてもらい、これを自分の力で本当に立て直すことができるのかなと。ただそれ以上に、生産者さんの気力や、行政の方々の前向きな想い、そして単純に七面鳥がアメリカで食べていたものより遥かに美味しいという強みも感じて、畜産業界は未経験ながら自分なりにやれることをやってみたいと考え、リスクをとって挑戦することを決めました。当時27歳だったので、仮に失敗してもリカバリーできるかなという考えもありましたし、最終的にはワクワクできる仕事だと思えたことが決め手で移住に至りました」

 

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(松下さんが移住した中土佐町大野見の風景)

(松下さんが移住した中土佐町大野見の風景)

 

――地域おこし協力隊としてのミッション

移住を決め、地域おこし協力隊に着任した松下さんに与えられたミッションは、どのようなものだったのだろうか。

「地域おこし協力隊のミッションは、大野見七面鳥生産組合という団体の行政からの自立です。元々大野見では、秋頃まではお米や生姜を生産し、冬場は気温が氷点下まで下がり農作業ができなくなります。『ちょうどその時期に脂がのっておいしくなる七面鳥の生産がおもしろいのでは』ということで、旧大野見村の村議会議員さんが隣町にいた七面鳥を2羽連れて帰って来たんです。それが脈々と受け継がれ、今は800羽になっていて、昭和の終わり頃に組合をつくって販売することになった歴史があります。旧大野見村の覚書等に経緯が書かれています。組合設立時から、行政と組合が協力しながら業務をしていて、例えば役場の農林課の横に冷凍庫を置いて肉を販売して、役場の職員さんが慣例業務として集金を代行していたり。ただ、これには課題があって、七面鳥以外にも行政の力を借りたい組合もあり、一方民間事業の様々な事務局機能を行政が担い支え続けることが難しいのは明らかでした。行政が一部の産業だけ特別扱いもできないため、今の時点で民間の組合の事業を行政と切り離し、独立して事業を行う体制を構築することがミッションでした。

移住前の2年間で中土佐に通ったことで、住民の方もある程度知ってくれていましたし、また僕が移住する5~6年前から七面鳥組合に役場の職員さんが入り始めていたので、移住した段階で1.5年目・2年目ぐらいの感じでした。最初の半年はとにかくデスクワークで、役場の農林課の業務を理解して引き継ぎをしたり、行政にファイリングされている過去の書類から歴史や経緯を学んだり、七面鳥のキーマンとの関係を構築したり、解体作業や屠殺の技術も学びました。幸い、数年前からの行政の方々の取り組みもあり、少しずつ売上が上がっていたのでそれをさらに伸ばしていこうと動き始めました。最初は七面鳥の生産に携わることもひとつの大きな目標でしたが、経営・営業・販売・会計を全部自分で行うので、生産とは切り離した方が良いと途中で方針を変え、少しずつ整備していきました。役場で肉を販売していたのを地元の商店さんに委託で販売してもらうようにしたり、元々やりたかったアスリートへの提供の販路を開拓したり、七面鳥文化としてサンクスギビングを日本に広めるために協力隊の制度を使いながら各地に出張に行って広報したり、鳥インフルエンザの対象の鳥なのでその対策を強化したり……ひとつずつ体制を整えていたら3年経ったという感じです。

ただ、3年間で完全に自立するまでには至れなかったんです。任期が終わったところで役場とも話し合いました。3年でできる限りのことはしたものの、まだリスクのある事業ではあったので、ここで止めることもひとつの選択肢だと正直に伝えました。ただその中で、役場も農家もこれからさらにやっていきたいという想いがあったので、国の補助金も活用しながら協力隊の任期の後にも事業に取り組める道筋をつくってくれました。今は、七面鳥やそれ以外の事業も含めて、四万十川流域の産業の発展という文脈でまちひとしごと創生戦略に位置づけて協力隊の任期後も事業を進めています」

 

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(松下さんがミッションとした七面鳥)

(松下さんがミッションとした七面鳥)

 

――地域おこし協力隊として地域に入る上で大切にすること

地域おこし協力隊として地域に入った松下さんが感じる、地域に溶け込んで事業を行う上で大切にすることについても話を聞いた。

「地域おこし協力隊は、制度としては手厚いと思います。都会で働く給料と比べると少ないかもしれませんが、ご自身の仕事を持ったまま移住された方には手当はありませんし、新規就農や林業での制度を活用しても協力隊よりも補助が少ない中で、月に十数万円のベーシックインカムとプラスアルファの補助があります。個人的には、ご自身の力で仕事をつくって移住される方の支援も手厚くした方が良いと感じますね。あと、普通の引越しでは載らない地元の広報誌に協力隊は必ず掲載されますし、良くも悪くも注目されます。

ただ、制度としては良いですが、地域に入る際には協力隊という見られ方よりもどこで何をしている人か分かる見られ方をした方が良いと感じました。協力隊だと、漠然とした“協力”隊で終わってしまうので。僕自身は、協力隊ではなく、七面鳥の組合の人と見られたのが良かったです。総務省の方にも“地域おこし協力隊”という名前を変えませんか、という話をしたこともあるのですが(笑)。

あと地域によっては保守的な面が垣間見えることもあると思います。中土佐でいうと、久礼の方は漁師町でその日魚が採れるかどうか毎日の変化が大きいですが、大野見は農耕文化で春先に田植えしたら秋までルーティンを守りながら待つので、小さなトピックもニュースになります。僕の場合は、人の動きに目を配るのも好きで楽しく感じられていますし、広報的にうまく活かせたりもするんですが、マイナスの部分も広がりやすいので誠実に真面目にやっていくことが地域で生きるためには大事だと思いますね。仕事をいかにやるか、仕事のプロセスを住民の方々に伝えていくことが大事だと思います。僕は七面鳥の人と認識してもらえましたが、何をやっているか分からないと思われてしまうと暮らしにくく感じるかもしれません。

地域おこし協力隊は、自分のやりたいことを持っているかどうかが最大のポイントだと思います。何をしたいか迷いながら来てしまうと難しいと思います。迷う内に地域の方々に良くも悪くも巻き込まれることもありますし。移住者の方にそこまで求めるのは酷かもしれませんが、そこを配慮できれば、地域に溶け込んで自分の仕事ができると思います。自分はこれをやりたいということを明確に持って、それを自分の言葉で気兼ねなく地域の人たちに伝えることを苦にしないこと。説明を求められて話しに行くというよりは、自分から話すこと。だから、住民の方々との立ち話を仕事の中でとても大切にしているんですよね。ぱっと切り上げることも話し込むこともありますが、できる限り話すようにしていて、それが後々自分がやろうとしていることにプラスになる感じがあります。

移住前は、高知や中土佐や大野見への印象はあまり持っていなかったです。田舎暮らしがしたかったというわけではなく、七面鳥というキーワードに強く惹かれて来たので、それこそ東京に七面鳥がいれば東京に行っていたと思います。大切なのは、場所よりも仕事でした。高知という地方で事業をすることにデメリットは感じていません。東京にも日帰り出張できますし、業種にもよりますが、既存事業を承継するという点ではむしろ非常にメリットが大きいと思います。大野見以外の地域でもその点は同じかなと。あと、大野見の良かったところは、人口が減っていて、外からの人や力がないとどうしようもない・持続できないということが多くの方の共通認識としてあり、ある程度理解が得やすいところですね。何か新しいことをやるのに特段否定的ではない、やってみないと分からないという姿勢でいてくれたのはありがたかったです。人口減少が進んでいるようなまちはそういう感覚が強まっているかなと思います。大野見も本当に人手が足りなくなってきているので。また、中土佐町役場の方は本当に丁寧で人に恵まれていました。協力隊はリスクもあるし、行政が100%後押しできることばかりではないのは理解していましたが、正直にいろいろ話してくださり、移住前も質問にすぐに返してくださったり、不安に感じていたことに対して解決は難しいまでも行政としての考えや計画を立ててくださったり、ありがたかったです」

 

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――大野見に関わることはすべて松下商店で背負えるようになること

最後に、スポーツへの関心から七面鳥というキーワードで移住した松下さんが、今後目指すビジョンについて聞いた。

「地域おこし協力隊としてのミッションは七面鳥の組合の独立でしたが、まだ町役場には事務局的なものは他にも残っているんです。協力隊から独立するタイミングで、テナガエビの生産事業を引き継ぎました。また、高知大学と連携した有機栽培促進の地元の農家の団体があり、その事務局は役場にあります。行政では担当者も変わり、今後の中長期で事務局機能を担うことは難しいですから、松下商店が大野見に資する産業なら何でも、事業を担う役割になっていきたいと考えています。最近はお米の販売も始めました。七面鳥も売上でいうとそこまで大きい事業ではないのですが、大野見に存在するそういう事業を少しずつ継承したいです。直近では、七面鳥とテナガエビの事業を完全に自立運営できる状態をつくることですね。それができれば、自分以外の人に譲渡することもできますし、譲渡して自分が新しい事業づくりに挑戦しても良いと思います。ここを拠点にいろいろな仕事が生み出せると思うので、あまり固執せずに考えています。2006年に旧大野見村と中土佐町が合併したのですが、大野見村の記憶は住民には強く残っていて、大野見という場所に愛情を注いでいる方が多くいらっしゃるので、松下商店として大野見でできることを増やしていきたいですね。

移住をしたのはスポーツという軸から七面鳥に関心を持ったからなんですが、この大野見で何不自由なく6年間過ごせて、支えてくれている人がいるということを起業してから特に感じています。このまちに恩を返すというと偉そうになるんですが、今は大野見に還元していくような仕組みをつくることが1番大事なのかなと思っています。

今は教育関係の仕事も増えていて、中土佐町の教育委員会から委託をもらって町内の小中学生にスポーツを教えたりもしています。その点昔のキャリアと今が結果的につながっているのも良かったですね。子どもたちと接していると、基本的には大野見に帰ってきたいと考えている子が圧倒的多数なんです。旧大野見村の時代から元々教育にとても熱心で、行政予算も教育に重きを置いているまちで、教育水準もかなり高いんです。これを言うと大野見の人に怒られますが、大野見に今ある仕事では満足できない子もいます。松下商店としての最大の目標は、地元の子たちの雇用を生み出していくことですね。テナガエビの事業に関しては、原資は補助金ですが、大野見出身の正社員とアルバイトを計2名雇用していますし、そういう流れを今後も拡大していきたいです。僕は外から来た人ではあるので、地元の人が地元で働くことを支える、地元の人たちが主人公として働ける環境を整えたいですね。僕が6年間いて、小学校1年生だった子は中学生になって、中学生だった子は高校生や大学生や社会人になって、その中に『松下商店に就職したい』と真剣な眼差しで言ってくれる子がいるんです。帰省した時に寄ってくれたりするんですが、外で視野を広げた上で松下のやっていることを深く理解してくれるようになって、それで最終的に就職したいなんて言ってくれるのは、本当にうれしいですね。一瞬で疲れが吹き飛びます。スポーツを教える姿からは全く違う仕事をしているように見えると思いますが、僕の仕事はスポーツから派生したもので、そういう自分のキャリアや後ろ姿も見て何かを感じてもらいたいですね。いきなり松下商店に就職するというよりは、まずは都会でも海外でも、いろいろなものを見て、人に触れて、視野を広げてほしいです。その上で、大野見に帰ってきたいという子が増えると良いなと思います。それに応える仕事をつくらないと、という想いです。ちなみに、小学生には4人ぐらい内定を出してますよ(笑)。親御さんにも伝えています」

 

※取材後、テナガエビの養殖事業の一般向けインターネット販売が開始されたことが発表されました。一般向け販売は研究開始から8年で初とのことです。

(一般販売が始まったテナガエビ)

(一般販売が始まったテナガエビ)

 

 

●松下商店ホームページはこちら

制作:四国経済連合会
取材:一般社団法人四国若者会議

 

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